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『ソラリス』スタニスワフ・レム ―徹底的に答えのない問い―

こんばんは、おもちΩです。

先日、SFマガジンによる「ハヤカワ文庫SF総解説」に掲載される『ソラリス』の解説が、諸事情により公募されるという、面白い試みがありました。締め切りまでの猶予が10日間という急な募集にも関わらず、応募総数は20通とのことでした。その中で上位6名の解説文から読者投票により1つが決定し、結果は6月25日発売のSFマガジン8月号によって分かるとのことです。

Soralisがポーランドで生まれたのは、1961年のことでした。日本では1965年に『ソラリスの陽のもとで(飯田規和訳)』がロシア語からの重訳で出版(当時、ロシアの検閲によって原稿用紙約40枚分が削除されていたので、こちらの日本語訳でもそれが省かれている)され、その後、2004年に国書刊行会から『ソラリス(沼野充義訳)』で、ポーランド語から訳された全訳版が発行されました。さらには2015年に国書版『ソラリス』の文庫版が満を持して発売!そして今月は短編集に『泰平ヨンの未来学会議』(映画も日本上陸)と次々に刊行され、レムファンにとっては歓喜の2015年となっています。

『ソラリス』は、陽のもと版も含めて、私自身、何度読み返したか分かりません。重厚でありながら、どこか茫漠とした印象を刻み付けられる作品です。あれだけ綿密な設定が練られているにも関わらず、何一つ明確な答えが無くても、決して狐に摘まれたような感覚にはさせず、物語のどこを切り取っても、興奮が覚めることのない傑作だと思います。

※注意…この先あらすじ無しでネタバレ感想が続きます。


それにしても…個人的にはやはり、地球からの来訪者が持つ記憶を元に、ソラリスによって創出される「お客さん」について考察することが楽しくて仕方がありません。作品におけるソラリス学者の研究によれば、ソラリスは「擬態形成体(ミモイド)」と呼ばれる性質を持ち、その目的は「外部にある様々な形を猿真似すること」(文庫p211)と書かれています。つまり、「お客さん」たちは、ハリーにせよ、他の研究者たちのものにせよ、記憶の持ち主(以降「記憶主」と表現)自身に擬態したことに過ぎないのではないだろうかと思ったのです。

人間が自己を形成するにあたって強く影響を及ぼすものの一つとして考えられるのは、心的外傷(トラウマ)です。人間は過去の傷から、自分の行動や思考が無意識的に抑制されることがあります。その傷となった記憶は、例えて言うと、平常時は防衛本能によって記憶の海底に沈められ、そっと上から新しい記憶という砂を被せている状態なのです。時折その記憶が、何かの拍子に頭をもたげることがありますが、また時間をかけて別の記憶の砂で埋めていきます。

また、擬態とは、動植物において己の身を隠し、守るための能力です。この特性に目をつけると、「お客さん」という存在は、ソラリスが人類に向けたコンタクトでも何でもなく、身を守る…というと語弊があるのですが、ある種の適応行為だと考えられるのではないかと。(記事を書きながらふと思いましたが、この理論でいくと『砂の惑星』での機械の進化にも通じるような?)さらに擬態という行為は、擬態の元となる者の傍にいなければ、擬態として機能しません。このことから、記憶主と一定以上の距離から離れられない「お客さん」たちの制約についても、多少の辻褄が…いえ、こじつけが出来そうな気がしてきます。

つまり、登場人物の中でケルヴィンとハリーを例に挙げると、ソラリスはただ純粋に、ケルヴィンの心の最深層にある記憶を使って「ケルヴィンに擬態した」のであって、生前のハリーを複製しようとしたわけではないのだということです。駄目押しにもう一つ、ケルヴィンの同僚研究者であるスナウトは、「あれ(「お客さん」)については、おそらく何も分からないだろうけれども、ひょっとしたら、おれたち自身についてなら(何か分かるかも)……」(文庫p145/()内は私による補足)とケルヴィンに話す場面があります。これが「お客さん」の正体を暗に表現しているように思えるのです。

個人的な意見ですが、ソラリスのステーションで最もおぞましい擬態をされたのは、スナウトではないかと思うのです。彼の「お客さん」については、ある意味では清々しいほど謎に包まれていますが、スナウトが最も冷静、かつ客観的に「お客さん」を分析しているであろうセリフが端々に登場します。このことから、彼の人生において、他人が関わる深いトラウマを持っていなかったために、自分自身による、何か醜く劣悪と思われる過去の閃きが実体を持って彼の前に現われたことが想像されます。その正体は、彼の愛称である「ネズミ」がいかがわしさを備えた姿かもしれないし、そうではないかもしれません。

ソラリスのステーションにやってきた人間たちにとって不幸なことは、ソラリスは人間が持つ「心的外傷」といった常識を持ち合わせていなかったことです。(ここがレム特有の妙技でしょうか)その結果、もっとも記憶主の如実な写し鏡となっている記憶(できることなら永遠に避けていたい、他人に触れられたくない心の傷)をわざわざ選び取り、さらには記憶主が所有する「物理的な肉体」というオマケまで付けて記憶主に擬態していたのではないだろうか…と、思ったのですが…この解釈にはまだまだ穴があるんですよね…うーん。 

実を言うと、この記事を書いている間にも考察が二転三転してしまいました。そのため、流動的な解釈となってしまったことは否めません。ただ、私自身の『ソラリス』に対する考えの中で、これだけは変わらないと言えることは、惑星ソラリスを神だとは思わないということです。「不完全な神」だとも思いません。惑星ソラリスは、やはり1個の…広大な宇宙の中では、ちっぽけな惑星の1つなのです。

最後に、『ソラリス』の付録である「ソラリスのステーション」で、ソダーバーグ監督による『惑星ソラリス』が、批評家たちによって「宇宙での愛の物語」であると主張されたことについて、レムは「『ソラリス』という本は決して宇宙空間におけるエロスの問題を取り扱ったものではなかったはずだ」(文庫p415)と述べて憤慨しています。しかし、『ソラリス』はやはり、ケルヴィンとハリーのラブ・ストーリーが非常に注目を集めた作品であることも事実なのです。1つレムの誤算があったとすれば、それは記憶が肉体を持ったために、その肉体が記憶を通して意思を持ち始めてしまったという点ではないでしょうか。ケルヴィンから記憶を受け取ったハリーの肉体は、その記憶を元に行動することで、複製のハリーだけが持ち得る「ステーションでケルヴィンと過ごした日々の記憶」と、自分の存在についての知識を積み重ねていきました。そうする内に彼女は「自分はコピーに過ぎない」という悲痛な自己を持つようになり、ケルヴィンへの愛情と自分の存在の狭間で葛藤し、最後には生前のハリーと同様に、自ら消滅の道を辿ることを選択してしまいました。
スナウトは記憶の擬態を消滅させることを「解放」と例えました。しかし、二度に渡って愛する者に自ら命を絶たれたケルヴィンが、ハリーの記憶から解放される日は容易には訪れないでしょう。この虚しさから、私は本書を読み終えた時、古傷に冷たい風が吹きつけるような痛みを覚えたのでした。

レムという作家は、多くの哲学的・芸術的と言われる作品にみられるような、雲を掴むような問いかけではなく、あらゆる手段を以てしても敵わない、「徹底的に答えのない問い」を読者に与えてくれる、希有な作家だと思うのです。だからこそいつ読み返しても心が躍る…いえ、脳が踊るのです。この透徹した巨人に、何度でも挑みたくなるようなレムの魅力が、『ソラリス』にはふんだんに詰まっています。

回りくどい上に長くなってしまいましたが、ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




はぁー、
レムが心底大好きです。

…今度こそ終わっときます。(^^;
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コメント

ソラリス
こちらには初めてお邪魔します。
舞狂小鬼です。

『ソラリス』好いですよねー。
私なんかだとついつい認知論や神学の方に頭が行ってしまうのですが、徹底的に「お客さん」との関係にこだわった考察、面白かったです。

ミモイドを登場させたことで、図らずもレム自身が意図していなかった方向へも物語が広がり、色んな意味で傑作だと思います。
Re: ソラリス
舞狂小鬼さん

いらっしゃいませ、コメントとても嬉しいです!ありがとうございます(^^)
『ソラリス』を初めて読んだときは、本当に衝撃でしたー。

小鬼さんのブログへはいつもお邪魔させて頂いていまして、幅広い知識と論理的な解釈にはため息が出ます。
なので、この記事に手をつける少し前に小鬼さんが『ソラリス』の記事をアップしてらしたのですが、影響を受けてしまいそうだったので、あえて記事を書き終えるまで拝読するのをぐっと我慢しておりました。笑 

> ミモイドを登場させたことで、図らずもレム自身が意図していなかった方向へも物語が広がり、色んな意味で傑作だと思います。

小鬼さんもおっしゃっていましたが、この点にも言及されていた沼野さんの解説も素晴らしかったですよね(^_^*)
「100点満点」に大賛成です♪

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